京急歴史館

飛躍期

釜利谷地区開発

富岡地区に隣接する釜利谷地区の土地買収が始められたのは1963年(昭和38年)頃で、すでに300haを超える土地を確保してきた。 この資産を効果的に活用するために、1975年(昭和50年)1月、釜利谷地区開発チームが発足した。 三浦半島では最後の大型開発といわれた同開発は、大部分が市街化調整区域にあたることから厳しい規制を受けたが、1976年(昭和52年)11月4日から、まず排土を搬出するためのトンネル掘削工事などに着手、多くの問題を乗り越えて、1983年(昭和58年)5月に第1回の分譲を開始した。

販売に先駆け、釜利谷地区の新規分譲地は、開発地域内に保存されている歴史的旧跡「能見堂跡」にちなみ、京急ニュータウン金沢能見台と命名。
理想的な街づくりが行われた。

昭和51年に着手した釜利谷地区開発の全景
昭和51年に着手した釜利谷地区開発の計画図
バケットホイールエキスカベータによる工事
シティ能見台

品川開発と本社移転

鉄道では輸送力増強計画が進められていた。
1980年代には、品川地区再開発事業の一翼を担う賃貸ビルが続々完成し、本社も泉岳寺ビルに移転した。
旧本社ビルであった高輪ビルディングは、1981年(昭和56年)8月に解体に着手し、1983年(昭和58年)11月28日に京急第1ビルが竣工した。
同ビルは同月30日、事務所ビルやウィング高輪として、本格的な都市型商業施設に生まれ変わった。

高輪ビルディング(旧本社ビル)の解体工事に着手
旧本社跡地に建てた京急第1ビルが完成
泉岳寺に移転した本社ビル

ノクターンと高速バス網

自動車事業では、1979年(昭和54年)12月から、横浜シティ・エア・ターミナルと新東京国際空港を結ぶ98.3kmにリムジンバス「シーガル」号を運行して、航空旅客の利便をはかった。

帰郷バスで数多くの実績を積んできた経験から、青森の弘南バスと共同運航の契約を結んだ。
その結果、東京~弘前間685kmを結ぶ、当時は日本最長の高速路線バス「ノクターン」号の運行を1986年(昭和61年)12月26日から開始し、高速バス時代の幕を開けた。
高速バス時代の到来によって、新路線の開拓と、高速バスの発着所となるターミナルの建設が急務となった。
待合室や早朝の到着旅客ののためにシャワー室、洗面所などの付帯設備を充実した品川バスターミナルが完成し、使用を開始したのは1989年(平成元)1月15日である。

ここを拠点として、同年7月には、「ビームワン」号(品川~宮古間)、「パイレーツ」号(品川~今治間)や「エディ」号(品川~徳島間)など新路線の運航を相次いで開始した。

東京〜弘前間に日本最長の高速路線バス「ノクターン」号の運行開始
「ノクターン」号の出発式
品川バスターミナル完成
品川〜宮古間「ビームワン」号
品川〜鳥取間の高速路線バス「キャメル」号

ウィング号・りんどう号

多様化するお客さまのニーズにこたえて、夕方のラッシュ時にゆったり座って帰宅できる、座席定員制の「京急ウィング」号の運行を1992年(平成4年)4月16日から始めた。
その区間は、下り品川~京急久里浜間で土・日・祝日を除き毎日8本運行したが、お客さまに好評を博し、うち5本は1993年(平成5年)4月1日から三崎口駅まで延長し、さらに1997年(平成9年)7月には2本増発した。

また、四季を通して観光客の訪れる鎌倉で、レトロ調バス京急りんどう号2両を、駅から大塔宮と大仏前に1992年(平成4年)11月28日から運行を開始した。
愛称は源氏の紋所や市の花にちなみ、外観はロンドンバスに古都の深緑と八幡宮の社殿をイメージさせ、車内に桜材を用いたおしゃれなバスであった。

「京急ウィング」号運行開始(品川〜京急久里浜間平日下り)
鎌倉でレトロ調バス「京急りんどう」号運行開始
品川駅高輪口から導入開始した自動改札機
1978年(昭和53年)
6.1 京浜電鉄デ51形・湘南電鉄デ1形を復元し、久里浜工場内に永久保存
6.16 初のバス運賃自動精算装置導入
6.21 都営地下鉄線に8両編成の乗り入れ開始
7.20 「京急富津観光ホテル」営業開始(2001年8月休止)
12.27 新型車両800形を新造
1979年(昭和54年)
5.1 「川崎京急スイミングスクール」オープン
7.8 800形が1979年度ローレル賞受賞
10.26 長沢隧道貫通
12.4 バス、横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT)~新東京国際空港間(旅客限定)運行開始
12.16 港南丸山台ニュータウン第1回建売住宅の販売開始
12.19 鶴見市場~花月園前間下り高架線の使用開始(上り線は3月1日)
1980年(昭和55年)
5.23 京浜久里浜駅に初のエスカレーター(昇り)設置
6.27 殿前隧道(京浜長沢駅付近)~津久井浜間の複線化工事竣工により運転開始
8.24 「市原京急カントリークラブ」営業開始
11.11 金沢文庫第1京急ビル(賃貸)完成
1981年(昭和56年)
2.1 京急第5ビル(賃貸)完成
3.18 京急第3ビル(賃貸ビル)完成
3.27 港南丸山地区区画整理事業完成
3.30 本社を泉岳寺ビルへ移転統合
3.31 鎌倉小町京急ビル(賃貸)完成
6.22 平日ダイヤを全面改正、朝のラッシュ時に通勤快特を新設、金沢文庫~品川間を12両編成で運転
6.25 飯田道雄が取締役社長に就任
1982年(昭和57年)
4.1 京急商事(株)設立(2010年7月解散)
5.10 鎌倉御成町京急ビル(賃貸)完成
6.7 品川駅の改良工事が竣工、12両編成列車の発着が可能となる
12.1 「谷津坂」を「能見台」と駅名改称
12.27 新型車両2000形を新造
1983年(昭和58年)
5.20 「京急ニュータウン金沢能見台」建売住宅販売開始
8.28 2000形が1983年度ブルーリボン賞受賞
11.28 京急第1ビル完成、30日に「ウィング高輪」営業開始
1984年(昭和59年)
6.13 新社是制定
9.20 ホテル京急(株)設立
1985年(昭和60年)
1.9 京急猪苗代リゾート(株)設立
3.2 「京浜逗子」と「逗子海岸」を統合、「新逗子」に駅名改称
3.25 新型車両1500形を新造
7.20 「観音崎京急ホテル」営業開始
1986年(昭和61年)
3.16 京急ニュータウン三浦海岸の建売住宅販売開始
7.15 「京急猪苗代リゾートホテル」営業開始
1987年(昭和62年)
4.1 初のフリー乗車券「三浦半島ぐるりっぷ」販売開始
4.25 「ウィング久里浜」営業開始
6.1 駅名を改称、冠称「京浜」から「京急」へ
6.26 芹沢守利が取締役社長に就任
12.13 南太田駅の待避設備完成
12.15 京急商事(株)がグループ会社となる(2011年3月清算)
1988年(昭和63年)
1.4 創立「90周年シンボルマーク」、「コーポレートスローガン」発表
1.11 1500形16両を新造(初のアルミ合金製車体導入)
3.29 京急幼稚園が富岡地区から能見台地区へ移転
5.10 片桐典徳取締役名誉会長が、勲一等瑞宝章を受章
6.2 創立90周年記念式典挙行
7.26 電車の冷房化率100%達成
8.1 逗子にフライホイール式電車線電力蓄勢装置新設
10.14 京浜観音開眼50周年法要挙行
11.11 「京急クアリゾート平和島」営業開始
11.13 弘明寺~上大岡間の立体交差工事完成
11.20 高速バスの座席予約システム運用開始
11.30 新社歌制定
1989年(平成元年)
1.15 品川バスターミナルが完成、使用開始
3.31 高輪京急ホテル(京急第7ビル)完成
4.1 大船~江の島有料道路を廃止
12.20 (株)京急百貨店設立
1990年(平成2年)
3.29 久里浜検車区竣工
7.21 横浜~清里間の高速バスの運行開始(夏季路線)
10.5 1500形初のVVVF車両を新造
12.2 新馬場~大森海岸間の立体交差化工事下り線が完成(上り1989年6月25日完成)、これにより新馬場第1踏切道から立会川第3踏切道までの13か所の踏切道廃止
12.14 深夜急行バス、横浜駅~関内駅~京急久里浜駅間の運行開始
1991年(平成3年)
3.31 京急線、都営浅草線、京成線、北総・公団線による4線連絡運転開始
4.1 新日本自動車(株)がグループ会社となる(2002年9月清算)
6.24 (株)ホテルパシフィック千葉設立(1995年2月清算)
6.27 平松一朗が取締役社長に就任
11.22 (株)京急流通企画、京急都市開発(株)設立
1992年(平成4年)
1.18 品川駅高輪口を皮切りに自動改札機の導入開始
4.16 「ウィング号」の運行開始
9.18 大船駅東口「ルミネウィング」営業開始
11.28 鎌倉駅~大塔宮間、鎌倉~大仏前間でレトロ調バス「京急りんどう号」運行開始
12.3 (株)京急アドエンタープライズ設立