京急歴史館

増強期

新生京浜急行電鉄と進む復興

戦後になって、GHQ(連合軍総司令部)の民主化政策などのもと、社内では、合併・統合前の会社に戻すことを前提とした分離・再編成の運動が起こった。

当社は、1948年(昭和23年)6月1日東京急行電鉄から分離独立し、資本金1億円を以って「京浜急行電鉄株式会社」として新発足し、本社を高輪においた。 新会社の当面の課題は、戦後の復興に伴う輸送需要の増大に対処することであった。
このため、まず車両の整備に着手し、戦災車の復旧や新造車の増備などに邁進した。

京浜急行として復活を告げるポスター
接収解除による穴守線の複線復旧工事

輸送力増強・設備整備が進む

戦後、新生京浜急行電鉄は、輸送力増強5か年計画に従って、基盤の整備を積極的に促進した。

具体的には、学校裏、子安、上大岡の3駅に退避設備を設置したのを始め、大師線の1,500V昇圧に伴う全線の電圧統一、信号保安装置の近代化、急緩行列車選別装置の設置、踏切道に自動踏切遮断機の設置、新町検車区の新設などをとおして、本格的なスピードアップ化をめざした。

輸送力増強のため新設した新町検車区
急行運転のため新設した待避設備。子安駅。
新設した待避設備(学校裏駅)
昭和33年 逸見駅待避設備工事竣工

観光開発とハイキング特急

沿線の観光は、三浦半島が長く要塞地帯の制約下にあったため、これが一時に開放されたことによって、急激にクローズアップされた。
いち早くハイキング急行や定期観光バスを運転し、旅客の誘致につとめ、観音崎、城ヶ島、油壺などに観光施設を新設し、関連会社が運営を担当した。
また、東京湾に航路を新設し、房総半島への観光ルートを開いたことも注目される。
電車とバスが互いに連携してこれらの輸送にあたった。

「ラメール」号・「パルラータ」号
品川駅を出発する特急「うみかぜ」号
ハイキング特急、6両編成の運転開始
週末特急の案内板
城ヶ島大橋を走る遊覧バス

戦後を支えた自動車・空港輸送

自動車事業では、燃料事情の好転により、ようやく代燃車の時代は終わりを告げた。
代わりにガソリン車、ディーゼル車を導入して休止路線を復活し、他社との相互乗り入れ協定による新規路線の開拓、定期観光バス、貸切バスの営業も再開した。

また、ノースウエスト航空や日本航空との特定旅客自動車運輸を開始したり、東京駅八重洲口~鎌倉~三崎間の急行バスの運行を開始し、地域の足を支えた。

航空会社と特定旅客輸送開始
昭和26年航空会社との契約により特定旅客輸送を開始
飛行機を前に京急バスの雄姿

本格化する沿線開発

一方、沿線開発を推進して地域会社の発展と、住宅難という社会的問題の解決に寄与しようと、1952年(昭和27年)4月に事業部を設置し、住宅難に悩む人たちに良質の住宅を提供するため、積極的に土地の確保を行った。

そのなかで、まず横浜市南区に花の木分譲地を造成し、1954年(昭和29年)6月に販売開始、続いて同じく弘明寺分譲地も同年9月から販売を開始した。

この2つの分譲地の総面積は21,608m2(約6,540坪)、区画数は75区画に過ぎなかったが、事業部が土地の確保から分譲に至るまで、一貫して手掛けた最初の記念すべき分譲地であった。 この時すでに、富岡地区、杉田地区、上大岡地区での土地の確保、宅地造成工事も進行中で、以後、鉄道事業、自動車事業とともに不動産事業は大きな柱になった。

昭和30年 花の木分譲地
上大岡分譲地建売(第2回)
上大岡分譲地
上大岡分譲地と快走する電車
野比分譲地
販売を開始した野比分譲地
富岡建売住宅
富岡分譲地の建売住宅
1948年(昭和23年)
6.1 京浜急行電鉄(株)発足。本社を東京都港区芝高輪南町17番地に置き、上田甲午郎が専務取締役(代表)に就任
6.4 デハ5400形就役
7.3 逗子線、湘南逗子~逗子海岸間開通
7.15 品川~浦賀間の直通運転再開
8.10 大師線、3線式乗り入れ契約を川崎市、味の素、運輸省鉄道総局と締結
8.- 逗子線、金沢八景~神武寺間の複線復旧工事竣工
9.6 横浜~逗子海岸間の直通運転開始
10.2 京浜自動車工業(株)(のち京急車輌工業(株)、現(株)京急ファインテック)設立
10.28 京浜観光開発(株)(現京急交通(株))設立
10.- 東京電機(株)(現京急電機(株))がグループ会社となる
12.21 川崎鶴見臨港バス(株)がグループ会社となる
12.23 井田正一が取締役社長に就任
1949年(昭和24年)
2.1 急行バス、横浜~三崎間の運行開始
東京都営バスと相互乗り入れ開始(東京駅八重洲口~川崎駅間)
2.23 デハ420形を新造
5.16 東京証券取引所一部に上場
6.1 創業50周年記念式典挙行
6.25 京浜百貨店(株)(現(株)京急ストア)がグループ会社となる
7.10 品川~逗子海岸間の直通運転(夏季)開始
3両編成運転再開
11.1 遊覧バス、鎌倉駅~建長~江の島循環の運行開始
1950年(昭和25年)
2.20 葉山観光自動車(株)がグループ会社となる
6.- ニュージャパンモーター(株)がグループ会社となる
12.25 田中百畝が取締役社長に就任
1951年(昭和26年)
3.16 大師線の塩浜~桜本間に川崎市電が乗り入れ開始
5.8 逗子線の金沢八景第2踏切道に初の自動踏切遮断機設置
9.15 高周波式搬送指令電話装置を駅長所在駅に設置
10.1 日本航空との特定旅客の自動車運送事業を開始
1952年(昭和27年)
1.1 大師線、塩浜~桜本間を川崎市へ譲渡
3.21 急行の終日運転開始
6.1 社歌制定
6.23 湘南逗子駅に初の自動継電連動装置設置
6.24 神武寺~湘南逗子間の複線復旧工事が竣工
7.6 品川~逗子海岸間で特急の直通運転開始
10.14 電車内の案内放送開始
1953年(昭和28年)
2.25 社是制定
3.25 観音崎観光(株)がグループ会社となる
8.- 三崎観光(株)がグループ会社となる
9.30 600形を新造(3扉通勤車)
10.- 信号機に警戒・減速の現示方式を初めて採用
1954年(昭和29年)
1.19 大森水上レクリエーション(株)(現京急開発(株))がグループ会社となる
6.15 久里浜線の横須賀堀ノ内~湘南井田間の複線工事竣工
6.25 久里浜線に初の列車集中制御装置(CTC)新設
7.7 品川~湘南久里浜間の直通運転開始
7.25 三浦半島一周定期遊覧バス「さざなみ」号運行開始
12.- 横浜交通(株)(現京急横浜自動車(株))がグループ会社となる
1955年(昭和30年)
5.20 急行バス、東京駅八重洲口~羽田空港間の運行開始
6.- 初の乗車券自動販売機を品川・京浜川崎駅に設置
7.30 東洋観光(株)がグループ会社となる
1956年(昭和31年)
3.24 品川~横浜間の全踏切道で急緩行列車選別装置の使用開始
10.25 700形4両を新造(初のカルダン駆動採用)
11.1 広報誌「なぎさ」を創刊
12.10 国際シップサービス(株)がグループ会社となる(2001年3月清算)
1957年(昭和32年)
9.16 文庫タクシー(株)(現京急文庫タクシー(株))がグループ会社となる
10.4 電車運転士の養成教習開始
12.27 金田湾観光開発(株)がグループ会社となる
1958年(昭和33年)
2.9 神奈川新町駅構内に電車運転士養成の教習所竣工
2.12 (株)京急油壺レストハウス(のち油壺観光(株)、現三崎観光(株))設立
3.16 はとバスと提携し、都内~羽田空港~鎌倉~江の島~都内の周遊コースの連絡運輸開始
6.11 800形4両を新造
6.- 湘南逗子~逗子海岸間の複線化工事竣工
9.30 京急興業(株)(現京急不動産(株))設立
1959年(昭和34年)
1.23 京急油壺レストハウス(のち観潮荘)竣工
3.15 久里浜線の湘南井田~湘南久里浜間の複線運転開始
5.4 羽田営業所の新築工事竣工
7.9 京浜汽船が横須賀~富津間の航路開設
7.31 中央交通(株)(現京急中央交通(株))がグループ会社となる
11.1 葉山自動車(株)(現京急葉山交通(株))がグループ会社となる
1960年(昭和35年)
4.20 城ヶ島大橋開通により路線バス乗り入れ運行開始
7.11 (有)青掘タクシーがグループ会社となる
9.1 京光タクシー(株)(現京急交通(株))設立
9.15 湘南井田分譲地の販売開始
9.- (株)大和屋(現京急フードサービス(株)がグループ会社となる
10.15 南太田変電所新設使用開始
11.28 わが国最初の電気式1号形ATS完成
1961年(昭和36年)
4.25 京浜定期貨物輸送(株)がグループ会社となる
7.4 京浜不動産(株)(現京急建設(株))設立
11.11 ワンマンバス、羽田空港駅~空港ターミナル間の運行開始
12.13 光電式自動踏切防護装置を生麦第2踏切道で使用開始
1962年(昭和37年)
3.15 観音崎ホテル竣工
7.30 追浜に自動車教習所を開校
10.1 (株)川崎自動車教習所設立
1963年(昭和38年)
1.25 都心乗入線品川~泉岳寺間の第1期建設工事着手
4.5 三崎観光ハイヤー(株)(現京急三崎タクシー(株))設立
4.12 上大岡駅ビル竣工
5.2 金沢八景~堀ノ内間に列車選別装置を設置
10.1 ホーム監視テレビの本格的使用開始(横浜駅下りホーム)
11.1 京浜久里浜~野比間開通
井田車両工場(現久里浜工場)の操業開始
駅名変更により「湘南」を「京浜」に改称
11.3 葉山上山口分譲地の販売開始
11.28 (株)京浜共栄会(現(株)京急共栄会)がグループ会社となる(2011年7月清算)
1964年(昭和39年)
2.25 鈴木三郎助が取締役社長に就任
3.25 大師線の小島新田~塩浜間営業休止
5.20 京急更埴陸送(株)がグループ会社となる(現京急物流、2005年6月売却)
5.23 佐藤晴雄が取締役社長に就任
7.17 (株)京急自動車学校 上大岡校開校
8.1 (株)東京観光ホテル(のち(株)ホテル京急(2013年3月清算))がグループ会社となる
10.1 新社紋制定、社名略称の冠称「京浜」を「京急」に変更
11.1 飯綱高原温泉開発(株)がグループ会社となる
12.2 葉山マリーナ全館開業
12.- 横須賀根岸台分譲地の販売開始
1965年(昭和40年)
1.1 社旗制定
3.15 城ヶ島温泉ホテル(城ヶ島京急ホテル)竣工
6.6 野比第1期分譲地の販売開始
8.19 羽田に観光バスセンター新設