油 壺 温 泉 の 特 徴

温泉成分が濃い高張性の療養泉
油壺温泉は、環境省の「鉱泉分析法指針」に基づき、温泉のうち「特に治療の目的に供し得るもの」に認められる「療養泉」にあてはまる温泉です。
この指針には、「溶存物質」という項目があり、温泉に含まれる成分が1kg中に1g以上で療養泉になり、さらに10g以上あると「高張性の温泉」に分類されます。
油壺温泉は、1kg中に17.6gと、療養泉の基準の17倍以上も溶存物質が含まれている高張性の温泉となっています。
高張性の温泉は浸透圧が高いため、脱水作用や角質の剥離、滅菌作用などがあると言われています。
なお、皮膚の弱い方は湯あたりしやすいので、出る前に「かけ湯」をしていただくことをお勧めします。

化石海水を源泉とする温泉
油壺温泉は、地下1,500メートルの地層「葉山層群」から湧き出す温泉です。
太古の昔、地殻変動などで古い海水が地中に閉じこめられた海水に、周囲の地層由来の成分や海藻・草木などが溶け込み「化石海水」となったものが源泉となっています。
油壺温泉の特徴である微黄褐色は、この化石海水に含まれる「フミン酸」によるもので、保湿性能があり、お肌にうるおいを与えるといわれています。
これは、「黒湯」、「モール泉」などと呼ばれる温泉とほぼ同じ成分となっています。

保温・美肌効果の高い天然温泉
油壺温泉の泉質は「ナトリウム塩化物泉」
塩化物泉は保温効果の高い温泉として「熱の湯」と呼ばれることもあります。
身体の芯からポカポカ温まり、出浴後の保温効果も高いうえ、弱アルカリ性で保湿効果も期待できます。
さらに、油壺温泉には、天然の美肌・保湿成分といわれ化粧水などにも含まれる「メタケイ酸」が温泉法の基準より多く含まれており、
肌の新陳代謝が促進される作用が期待できます。
油壺温泉について
ナトリウム ‐ 塩化物温泉(高張性・弱アルカリ性・低温泉)
pH値:7.5(弱アルカリ性)
- 適応症(療養泉分析に基づく一般的、泉質別の効能)
- きりきず、末梢循環障害、冷え性、うつ状態、皮膚乾燥症、筋肉もしくは関節の慢性的な痛みまたはこわばり、(関節リウマチ、変形関節症、腰痛症、
神経痛、五十肩、打撲、ねん挫などの慢性期)運動麻痺における筋肉のこわばり、胃腸機能の低下(胃がもたれる、腸にガスがたまるなど)軽症高血圧、
耐糖能異常(糖尿病)、軽い高コレステロール血症、軽い喘息または肺気腫、痔の痛み、自律神経不安症、ストレスによる諸症状(睡眠障害など)、
病後回復期、疲労回復、健康増進 - 禁忌症(一般的に入浴に適さない症状)
- 病気の活動期(特に熱のある場合)、活動性の結核、進行した悪性腫瘍または高度の貧血など身体衰弱の著しい場合、少し動くと息苦しくなるような重い
心臓または肺の病気、むくみのあるような重い腎臓の病気、消化管出血、目に見える重い出血のあるとき、慢性の病気の急性増悪期
油壺の歴史
三浦は、日本書紀には「御浦」(ミウラ)と記述がある、古くからある地名です。
前九年の役で手柄を立てた平為通は,三浦の地を与えられたことから三浦姓を名乗りました。平安時代から戦国時代初期まで、中世の三浦半島全域は三浦一族の本拠地として栄えました。
鎌倉時代には、北条氏と並ぶほどの権力を誇った三浦一族でしたが、宝治合戦で三浦泰村は北条時頼に敗れ、一時その勢力は弱まりました。
その後、再興した三浦一族は、戦国時代初期、三浦道寸が伊豆、相模にかけて力を伸ばしていた北条早雲と対立しました。
道寸は岡崎城(伊勢原市)、住吉城(逗子市)を落とされ、最後の砦として油壺にあった本拠地の新井城に立てこもりました。
自然の地形に恵まれた新井城は、東西から深く谷の切れ込んだ引橋を城の正面とし、その南側全体を1つの城と構想した大規模な中世の城で、その中心は現在の油壺温泉に隣接する東京大学三崎臨海実験所のあたりと考えられています。
三方を海に囲まれた崖の上にあり、遠くは大磯や小田原まで見渡せる新井城には、2,000俵もの米が蓄えられていました。
しかし、籠城は3年も続き、ついに兵糧も尽き果て三浦一族は滅亡しました。
一族終焉の地となった新井城は、油壺温泉に隣接する東京大学三崎臨海実験所の敷地内に城址が残っています。
【監修:一般社団法人みうら学・海洋教育研究所】
三浦半島の地質
三浦半島が位置する南関東は、3つのプレート(フィリピン海プレート、太平洋プレート、北米プレート)が重なり合っている世界でも稀な地域です。
海側のプレートが、陸側のプレートの下に沈む際、プレート上の海底堆積物がはぎ取られ、隆起したものが陸地の一部になります。これを「付加体」と呼び、三浦半島を形成する地層もこの付加体でできています。
もともと遠く伊豆大島より南にあった、深海3~4,000メートルの海底に堆積した約1100万年前の地層が、三浦半島の起源です。
三浦半島南部は海底がせりあがって地上まで姿を現した地層の中では、世界で一番新しいものであり、非常に珍しい地形と言えます。
プレートの近くには活断層があり、その間には地下水が溜まりやすく、温泉が作られやすいと言われています。
油壺温泉の源泉となった化石海水は、このプレートの沈み込みの時に、油壺周辺の地中に取り込まれた古代の海水と考えられます。
【監修:三浦半島活断層調査会】