
1904年(明治37年)に八幡駅(現・大森海岸)~品川駅間の開業に伴い開設。大戦の戦災被害を改装し、1977年(昭和52年)から8輌停車可能なホームへ延伸された。1991年(平成2年)の立体化工事により全面改築。現在の姿に。

- 立会川駅周辺はかつて、旧・土佐高知藩 山内家の下屋敷があったことで知られる。土佐といえば、幕末の英雄・坂本龍馬抜きには語れない。
彼が江戸で過ごした青年期は、1853年(嘉永6年)のペリー来航に続く「黒船」騒動の渦中であり、後の明治維新へとつながる激動の時代。2004年、立会川駅から約200mほど先の勝島運河周辺で、大きな石20個以上が掘り出され、龍馬研究家の小美濃清明さんが当時の土佐藩が築いた浜川砲台の一部と結論づけた。これによって19歳で剣術修行のために上京した龍馬が、藩の命を受けて、警備についた浜川砲台が立会川にあったことが明らかになった。現在、地元商店街は「若き日の龍馬が歩いた街」として盛り上がっている。
「砲台跡の発見当時、龍馬の故郷である高知を訪ねて立会川と龍馬の関係をさまざまな方々とお話しするうちに、龍馬の像を譲っていただけることになりました。非常に幸運なことと感謝しています。」と語るのは、品川龍馬会の会長を務める浦山嗣雄さん。奇しくも今年1月からNHKの大河ドラマ『龍馬伝』の放映がスタート。龍馬の注目度上昇に伴い、立会川の認知度もさらに高まっている。
浜川砲台で黒船との衝撃的な出合いを果たした龍馬は、大きな人生の分岐点を迎えた。龍馬に思いを馳せて砲台跡に立ち、江戸の片鱗を残す史跡を巡れば、幕末の英雄が描いた想いを感じられるかもしれない。

旧・土佐藩下屋敷があったため、立会川周辺は江戸時代の史跡が多い。それらを巡り、龍馬の足跡を追ってみよう。
-
浜川砲台跡

- 龍馬が警護に当たった砲台跡を現代に伝える貴重な石の数々
勝島運河近くの宅地造成地に、2004年に発見された50~120cmの石が数個設置されている。かつての品川沖海岸線であった周辺は、砂地が中心であったため、砲台の石垣に使用された石ではないかと推測される。最初のペリー来航時、砲台から約1.6km沖まで黒船が侵入したという。
●「立会川」駅から徒歩2分。見学自由。品川区東大井2
-
山内容堂の墓

- 司馬遼太郎の小説にも描かれた酒好きの藩主
土佐藩15代藩主・山内豊信の墓。「容堂」は隠居後の名前で、土佐の名君として龍馬らとともに幕末の動乱を歩んだ。下屋敷から眺める江戸湾を好み、故郷の地よりも当地への埋葬を望んだ。周囲は小高い丘になっていて、土佐山という地名でも呼ばれた場所で、大井公園と区立立会川小学校の間に位置。
●「立会川」駅から徒歩10分。見学自由。品川区東大井4-8(区立立会川小学校隣)
-
旧・土佐高知藩 山内家下屋敷跡

- 立会川駅周辺はかつて約1万6,800坪の大屋敷だった
国道15号線沿いの区立浜川中学校をはじめ、周辺の約1万6,800坪という広大な敷地は、かつて土佐藩の下屋敷だった。現在、中学校の国道沿いに設置された看板のみが当時の様子を伝えている。下屋敷は大名が暮らした上屋敷より江戸城から離れた場所にあり、上屋敷は現在の有楽町周辺にあった。
●「立会川」駅から徒歩4分。見学自由。品川区東大井3ほか(区立浜川中学校ほか)
ページトップヘ
ページトップヘ
※こちらは2010年1月頃の情報です。