京急線普通電車の旅TOP > 羽田空港駅:駅ニ歴史アリ

2009年11月18日で開業11周年を迎える羽田空港駅。品川・横浜と羽田空港を結ぶ空港線は、約100年前に穴守線として開通。
以来、時代と共に変貌を遂げ、現在に至る。

1971年(昭和46年)京急電鉄入社。横須賀中央駅に配属されたのを皮切りに、車掌、運転士、本社勤務と数々の業務を歴任。平成20年10月より、現職の羽田空港駅駅長に。「お客さまが安心して利用できるように」をモットーに、日々安全面やサービス面の向上に努めている。

京急蒲田駅と羽田空港駅を結ぶ空港線の歴史は、実に波乱万丈だ。前身は1902年(明治35年)に、蒲田駅(大正14年に京浜蒲田駅に改称)~穴守駅間で開通した穴守線。穴守稲荷神社への参拝客に加え、1911年(明治44)年には羽田海水浴場が開設され、羽田穴守一帯は一大行楽地として栄えた。開業当初、海老取川の手前にあった穴守駅は、1914年(大正3年)に羽田駅に改称。そして海老取川を越えた先に、新しい穴守駅が設置された。
1931年(昭和6年)には、羽田空港の前身である東京飛行場も開港し、穴守線はますます需要度を増したが、1945年(昭和20年)の敗戦によって、東京飛行場は連合軍の占領下に。穴守駅も強制退去命令で営業を休止。以降、穴守線が海老取川を越えることはなく、1956年(昭和31年)に誕生した初代・羽田空港駅も川の手前に設置されたのだった。
1963年(昭和38年)に、空港線と名前を変えた後もしばらく海老取川を越えることがなかったが、転機が訪れたのは1993年(平成5年)。空港線延伸1期工事の完成によって、新たな羽田駅が再び川を越えた先に設置された。そして1998年(平成10年)11月、羽田駅が天空橋駅と名称を変え、現在の羽田空港駅が誕生した。
「それまでは京急線から羽田空港に行くのは、バスかモノレールでしたから、空港直結の駅を設置するのは、京急電鉄の念願でした。それが現実となった時は、万感の思いでしたね」と、現在の羽田空港駅長・伊藤さんは当時を振り返る。「私は昭和50年頃に、空港線の運転士をしていました。当時は線路に草が生えていて、周囲も昔ながらの平屋が並んでいて、下町風情たっぷりのローカル線。利用者も地元の方がほとんどでした」
羽田空港駅就任当初は、ほかの駅との違いに、とまどいも多かった。「沿線外の、それも全国各地からいらっしゃるお客さまがほとんどですから、都内へ行くには品川方面の電車に乗る、ということも説明しなくてはなりません。ラッシュ時も朝夕と決まっているわけではない。飛行機の搭乗時間ギリギリに駅に到着して、どちらのターミナルに行ったらいいか、とあせって聞いてくるお客さまもいらっしゃいます。電車だけではなく、飛行機のリアルタイムの情報を常に把握していなくてはならない点が、ほかの駅とは大きく違いますね」
一番気をつかうのは、やはりダイヤの乱れ。「電車の遅れによって、飛行機に乗り遅れるお客さまが出てしまっては大変ですから。羽田空港駅は今年11月18日で開業11周年を迎えます。来年2010年には羽田国際ターミナル開業にあわせて、京急線にも新しい駅「国際ターミナル駅」(仮称)も開業し、ますます乗客数が増えると思います。お客さまにいつでも安心してご利用いただけるよう、今後もバリアフリーなどの設備面はもちろん、わかりやすい案内表示や、案内専門の係員・京急ステーションコンシェルジュなど、さらなるサービス面での向上を目指していきたいと思います」。
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宮東 修さん
1984年2月、皇太子(現天皇陛下)ご夫妻が京急に乗車された際、運転士を務めた宮東さん。1998年、穴守稲荷駅長となり、その数か月後に、羽田空港の初代駅長に。2008年に退職された。




初代の羽田空港駅は1956年(昭和31年)4月に開業。当時は穴守線(昭和38年11月に空港線に改称)の駅で、海老取川の左岸にあった。その後、1993年(平成5年)、空港線延伸に伴い、海老取川の右岸に移転し、羽田駅に改称。1998年(平成10年)11月には、その羽田駅が天空橋駅と再改称し、空港直結の現在の羽田空港駅が新設された。1日の平均乗降者数は約7万5,000人で、京急線の全駅中6位(2007年調べ)。

