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昭和23年、疎開先の小諸にて。
立子はいつも句帖を手元に置き、俳句が浮かぶとすぐに記していった。
星野立子という俳人がいた。
生涯の多くを鎌倉で過ごし、父である高浜虚子の大きな愛情に包まれて、天性の才能を花開かせた。
立子の俳句にふれると、誰もが「俳句ってこんなに、やさしいんだ」と驚く。
2004年秋に鎌倉文学館で開かれた初の星野立子展のタイトルは
「天才少女のスローライフ」。
俳句を知らない多くの方が来場し、立子俳句のファンになって帰っていったという。
日常のなかに美を見出し、さらりと十七文字で表現してしまうそのセンスは、いつも新しく、これからも決して古びたりしない。
スローライフやロハスが語られるずっと前から、幸福がどんな場所にあるかを、立子は知っていたのだ。
毎日があたらしい、やわらかい。
星野立子の俳句にふれ、普通の一日に隠れている幸福や美を見つけてみよう。
協力/鎌倉虚子立子記念館
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星野立子(ほしのたつこ)
俳人。明治36年、東京麹町に俳人・高浜虚子、いとの次女として生まれる。
大正14年、星野吉人と結婚。
15年、父の勧めで句作を開始。
昭和5年、長女早子(椿)誕生。
初の女性主宰の俳誌『玉藻』を創刊。素直な感受性で柔軟なリズムに乗せて詠う花鳥諷詠が特色。
句集に『立子句集』、『笹目』、随筆には『玉藻俳話』などがある。
昭和59年、81歳で死去。 |
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立子のやわらかな感性は、虚子や家族の
大きな愛にくるまれた少女期にはぐくまれた。
「まゝごとの飯もおさいも土筆(つくし)かな」
これは、一人でままごとをする子どもを見てつくったという、立子の初めての俳句。映画の名シーンのように、その場の情景が浮かんでくるような名句である。
俳人・高浜虚子を父に持った立子が、この句をつくった時は23歳。その後、結婚し、俳句から遠ざかりかけたとき、立子の才能を見抜いていた虚子の勧めで、昭和5年に女流俳誌『玉藻』を創刊、主宰する。長女が生まれたばかりの頃で、立子は28歳だった。立子の日常は多忙になったが、少女の頃の、みずみずしい感性はそのまま。ソーダ水、チョコレート、ままごとといった子どもの世界を俳句に取り込み、素直でみずみずしい作風を確立していった。立子の俳句は、家庭人である女性が、『玉藻(たまも)』という俳誌をつくりながら記した生活日記でもある。
左/高浜家の兄弟姉妹が集まった家族写真。
前列右から2番目が立子。後列の左側にいるのが虚子。
下/高浜一族の記念写真。前列中央が虚子。その左隣に座っているのが立子と娘の早子(椿)

 

(左上)『玉藻』昭和55年、右は昭和36年のもの。
2006年3月で通巻900号を迎える。
(右上)生原稿「雛の思い出」。
俳句のイメージそのままの愛らしい字。
(左)
『玉藻』とともにあった立子の俳句人生。導いたのは、父である俳人・高浜虚子だった。
立子の句帖その一 |
娘等のうかうか遊びソーダ水
いつの間にがらりと涼しチヨコレート
コスモスの花ゆれて来て唇に
三時までまだ十五分日向ぼこ |
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花や季節に向けられた立子のまなざしは、誰よりも自由でのびやか。
 
(左)瑞泉寺の冬桜 (右)椿の花。七五三の日に生まれたからか、立子俳句には、華やかな花の句が多い。
「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」とは、《蝶が舞うから蝶を写す、秋風が吹くから秋風を詠む》ように、その風情をつかまえながら俳句をつくること。立子の父・虚子が、大切にしたことだった。立子は『俳句入門』で、さらに補足をしている。そこに自分の深い感情が入っていなければならないと。
立子が生まれたのは11月15日。高浜虚子は2月22日。長女の早子を生んだのも2月。だからというわけでもないだろうが、立子はきりりとした冬の俳句を多く残している。とりわけ梅の花が好きだったのだろうか、梅を季語にした句を多く残している。
小さな情景を見逃さないかと思うと、ときに大らかな心で物事を捉える。立子のまなざしを通すと、ただ美しいだけの風景も、のびやかではっとさせるものに変わる。立子俳句の魅力のひとつである。
瑞泉寺
紅葉ガ谷と呼ばれる鎌倉の谷戸の奥深くに佇む古寺。鎌倉時代の禅宗様式の庭を代表する、夢窓国師作の庭園があり、四季おりおりに咲く花が美しいことでも知られる。
●開門時間:9:00〜1700(入園は16:30まで)
●拝観料:大人100円
●交通:JR鎌倉駅から「鎌倉宮」行きバス、終点下車、徒歩8分
寿福寺
鎌倉五山の第3位になる古寺。北条政子の創建。
境内は国の史跡になっており、墓地には虚子、立子が眠っている。
墓地内には、立子の句碑が建つ。
雛飾りつゝふと命惜しきかな
●中門まで拝観自由、境内は非公開
●交通:JR鎌倉駅から徒歩8分、または金沢八景駅から「鎌倉」行きバス、若宮大路下車
立子の句帖その二 |
昃(ひかげ)れば春水の心あともどり
来て見れば来てよかりしよ梅椿
内よりも外が暖か梅の花
手袋をとりたての手のあたたかく |
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鎌倉の空気の中、家族と過ごした
おだやかで幸福な日々。
立子の鎌倉暮らしは8歳の時から。病弱だった立子のため、虚子は明治43年、東京麹町から、鎌倉に転居したのだ。立子は、大正5年に鎌倉高等女学校(現、鎌倉女学院)に入学。卒業を前に、虚子からは花嫁修業を勧められるが、どうしても勉強を続けたいと、東京女子大学に進んだ。これは、父に対する、ただ一度の反抗だったかもしれない。
その後、星野天知の息子吉人と結婚し、東京に移り住んだが、今度は早子の健康のため、昭和6年に再び鎌倉へ。生涯のほとんどを、この地で過ごした。
第1句集『立子句集』(昭和12)に始まり、立子は生前に9冊の句集を残しているが、第2句集は『鎌倉』(昭和15)、第5句集は『笹目』(昭和25)と名づけられている。鎌倉の清明な空気の中で、立子の句は生まれていったのだ。
高徳院には、立子の句碑もある。
鎌倉の大仏(高徳院)
修学旅行生や参拝者でにぎわう鎌倉の大仏様。
大仏建立の明確な資料は残っていないが、建長4年(1252)に現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿をつくって安置した。立子はほかにも大仏を詠んだ句を残している。
●開門時間:9:00〜17:30(4〜9月は月は18:00まで)
●交通:JR鎌倉駅から「大仏」行きバス終点下車、徒歩1分

由比ヶ浜。立子は、よくこの海を眺めに来た。

館内の庭には、虚子と立子の俳句が
並んで刻まれた句碑が立つ。
鎌倉虚子立子記念館
立子より俳誌『玉藻』を受け継いだ星野椿(長女・早子)により、2001年9月に開館。
館長は、立子の孫で俳人の星野高士。館内の5つの部屋が展示室になっており、虚子、立子の作品や愛用品などを展示。
貸句会室などの設備もあり、庭を散策したり、くつろいだ雰囲気の中で俳句に親しめる。
●開館時間:10:00〜16:30(入館は16:00まで)
●休館:日・祝、年末年始
●交通:JR鎌倉駅から「鎌倉宮」行きバス、終点下車、徒歩10分
●お問い合わせ:0467-61-2688
※入館の前には電話にて連絡を。来館時に、維持費として500円の寄付をお願いしています。
立子の句帖その三 |
鎌倉の谷戸の冬日を恋ひ歩く
花の寺静かな人出中を歩す
ほろほろと土まろばせて山笑ふ
この寺の今日のまことに落葉寺 |
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立子の俳句をもっとも愛したのは、父である虚子だった。
昭和18年3月「ツバメ」車内。酒を酌み交わす虚子と立子。
「私はあなたの生涯を見ることが出来ないことを残念に思ふ」。『玉藻』が100号を迎えた時に、虚子はそう書き残した。これ以上のラブレターはないかもしれない。それほどに大きな深い愛情を、虚子は立子に注いだ。それも、立子俳句の魅力を、誰より分かっていたからだろう。
立子もまた、虚子を敬愛した。虚子が亡くなった時につくった、「なぜ泣くやこの美しき花を見て」という句からは、立子の深い悲しみが静かに伝わってくる。
「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」という句には、虚子が名づけた自分の名を誇りにする思いが表れている。知人の死を知って沈んでいた時に、元気を出そうと、自分に言い聞かせるように書いたもの。この句の通り、暑い日も寒い日も、立子はいつも、さっそうとしていた。なぜなら、彼女の名は「立子」なのだから。

季節は秋だろうか。親子で縁側に腰を下ろし、月の出を待っていたのかもしれない。
 
旅行時に持参したパスポート。
海外旅行はまだ珍しかった。

(左)文化使節として、パリへ向かう立子。
(右)旅のようすを何通も、虚子にあてて送った。
立子の句帖その四 |
春を待つ心を正し処しにけり
暖かに心にたゝみ聞く言葉
春雷や刻来り去り遠ざかり
年寄れど娘は娘父の春 |
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左手で筆を取った晩年。逝ったのは、3月3日、雛まつりの日。
昭和27年、鎌倉の笹目にあった自宅で選句をする立子。
俳句という詩のなかで、いつも自由に感情を解き放った立子だったが、67歳で脳血栓に倒れ、右半身の自由を失ってしまったのだ。声を出すことができず、句作もままならなかったが、娘の早子や親族たちと懸命にリハビリをし、話したり、左手で色紙や俳画を描いたりできるまでになった。左手の文字もまた、立子らしく、居ずまいが正しく美しい。
鎌倉虚子立子記念館には、退院後に使った机と椅子が展示されている。この椅子にかけ、立子は何を思っただろう。辞世の句「春寒し赤鉛筆は六角形」には、転がりにくい六角形の鉛筆を使う自身を嘆きながらも、立子らしくきっぱり受け入れる気持ちが表現されている。
雛が好きだった立子が81歳の生涯を終えたのは、3月3日、雛まつりの日
。3月の季語には「立子忌」が加わった。
句帖と鉛筆と共にあった人生。
赤青の鉛筆はいつも、添削や校正に使う赤の方が先に短くなった。
リハビリをしながら、左手で描いた俳画。
 
(左)自宅療養を始めてから使った机と椅子。動かすことのできた左側がすり減っている。
(右上)立子が描いた雛の、なんとやさしい顔。
(右下)辞世の句が刻印された鉛筆。鉛筆が登場する俳句はほかに、「鉛筆で髪かきあげぬ初桜」など。
立子の句帖その五 |
雛飾りつゝふと命惜しきかな
旅日記こゝに終りてソーダ水
鉛筆のすぐに書き減り日短
わが膝に今冬日さし句帖乗り |
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多忙な日々にあっても、好きなもの、
憧れる気持ちを持ち続けた。
ひとり娘の早子(椿)さんを抱く立子。家庭での時間を何より愛した。

買い物。映画『風と共に去りぬ』。つるやの鰻。煙草。焚き火。トランプ占い。紫色。そして、平日の自分の家の昼間…。これらはみんな、立子の好きだったもの。
「本来は家庭的な人だったけれど、家庭での時間を楽しむことができなかった」と、立子の長女、星野椿さんは言う。でも、そんなはかない時間だったから、余計にいとおしく思っていたのかもしれない。立子の俳句にはいつも、好きなものをいとおしむ気持ち、愛情があふれている。
星野椿さんに聞く娘から見た星野立子
童女の心を持ち続けているような
本当にかわいらしい人でした。
星野椿
俳人。1930年生まれ。星野立子主宰の『玉藻』を1983年より継承。句集に、『早椿』『華』『波頭』『雪見酒』などがある。
幼い頃から、祖父や家族の愛情に包まれて、そのまま育ったような、あたたかくて素直でやさしい人でした。多忙だったけれど、本当はとても家庭的。お豆をコトコト煮たり、祖父の郷里の松山風に、土筆や山菜に梅干しを入れて煮たのなんか、上手でしたね。銀座に2人で買物に行って、帰りに資生堂でクリームコロッケを食べたり、そんなごく普通の母娘の時間を過ごしたのもよい思い出です。
愛用していたビーズのバッグ。細やかな細工が美しい。
(左)立子が撮影した早子(椿)さん。
(右)煙草ケースと吸い殻入れ。南米旅行で求めたものだろうか。

(右上)薔薇の絵のついた陶器製ピルケース。
香を入れて持ち歩いた。
(右下)晩年はメガネで。
レトロなデザインがオシャレ。
立子の句帖その六 |
買物は一人が気楽簾見る
好きな句をそらんじながら焚火守る
落葉掃く音近くなり遠くなり
暗さもジャズも映画によく似ショールとる |
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五、七、五のリズムで、季語を入れた句をつくるのが俳句の基本。
実際につくって、十七文字と遊んでみよう。
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選句をする立子。
寄せられた俳句に目を通し、よい句を選んでいく。
家では常にこの仕事をしていたという。

星野立子関連の本
『星野立子全集』全6巻 梅里書房
『立子俳句365日』星野椿編著
梅里書房
『星野立子句集 月を仰ぐ』
ふらんす堂
『星野立子句集 レクイエム』
鎌倉虚子立子記念館
『俳句入門』星野立子
鎌倉虚子立子記念館
『玉藻』星野椿主宰 玉藻社 |
心を空しくして(自分を白紙にして)見たまま、感じたままを十七字にまとめることが大切であります。
心を澄ませて物を静かに落ち着いて見ることが大切であります。
その場所なりその風物なりにわが心を浸し得なければなりません。
作ろうとして作ってはなりません。静かに心を浸しているうちに、いつかその中に溶け込む時があります。その時にひらめいたものが、すらすらと十七字にまとめられたならば、それは本当の俳句になるのであると思います。
星野立子「俳小屋」より
(『星野立子全集第四巻』梅里書房)
実際につくってみよう
まずは言葉を五七五の音数律に当てはめてみましょう。はじめは言葉がぎこちなく感じますが、好きと思う句を読んだりしているうちに、だんだん、その「型」が自分のものになってきます。「思い」を述べる俳句もありますが、最初は「写生」から始めてみましょう。これは、正岡子規が広めたもので、絵で写生をするように、見たままありのままを言葉で表現してみるということ。立子の俳句も、写生の句といえるでしょう。
俳句のルール
俳句は、言葉の音数がリズムをつくりだす「音数律」が決められた、五七五の「定型詩」。日本語の音数律は、五と七の2種類しかありません。この十七文字の中に、「季語」という、季節を表す言葉を入れたものが「俳句」です。季語は、『歳時記』や『季寄せ』を見ると、その季語を使った代表的な俳句とともに、言葉の意味が分かります。俳句をつくるということは、日本の季節を言葉で表現することなのです。
句会って?
「句会」は、即興的なおもしろさに満ちています。参加者が句会短冊に書いた俳句は、清書され、作者を伏せたまま、参加者全員がよいと思う数句を選びます。選ばれた句は、最後に読み上げられ、そこで作者は俳人としての名前「俳号」を名乗ります。方法はいろいろありますが、得点表をつけていく句会もあります。写真は、立子が参加した虚子を選者とした句会の得点表。
俳句ポスト
鎌倉を散策し、その四季を俳句にしてもらおうと、JR鎌倉駅や鎌倉虚子立子記念館、鎌倉文学館など、鎌倉市内32カ所に「俳句ポスト」が設置されています。選句締め切りは、1月末、4月末、7月末、10月末の年4回。投句料は無料です。
●お問い合わせ:鎌倉俳句&ハイク実行委員会
TEL 0467-22-5010(平日9:00〜17:00)
http://kamakura-haiku.com/
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