京急の歩み 発展期

都心乗り入れ・三浦海岸開業

京浜久里浜~野比間に引き続き、延長線建設工事が行われていた三崎線は、1966年(昭和41年)7月7日に三浦海岸まで開通した。
これにより品川~三浦海岸間がわずか70分で結ばれることになり、三浦半島の経済的、社会的状況を一変させた。

野比駅から三浦海岸駅までの区間を特に三浦海岸線と名付け、その周知のためにあらゆるメディアを活用して、創業以来初めてという一大キャンペーンを展開した。
この三浦海岸線沿いの海岸を「青いデートナビーチ」と呼称し、海水浴客の誘致を促進するために、三浦海岸フェスティバルを開催した。

都心乗入線は、工事人員延べ18万5,250人、使用コンクリート量4万2,120㎥、鉄材4,025t。
着工から5年を費やした品川~泉岳寺間1.2kmの工事が終わり、1968年(昭和43年)6月21日、相互乗り入れを開始した。

1907年(明治40年)に最初の都心乗り入れを計画して以来、61年もの長きにわたる悲願がようやく実現したのである。

三浦海岸駅開業で到着した一番列車

三浦海岸駅開業で到着した一番列車

三浦海岸駅開業、海水浴客でにぎわう駅前

三浦海岸駅開業、海水浴客でにぎわう駅前

三浦海岸線開通の大看板

三浦海岸線開通の大看板

津久井浜〜三浦海岸間開通により海水浴客でにぎわう三浦海岸

津久井浜〜三浦海岸間開通により海水浴客でにぎわう三浦海岸

三浦海岸駅開業の祝賀パレード

三浦海岸駅開業の祝賀パレード

都心乗り入れ、品川〜泉岳寺間開通式

都心乗り入れ、品川〜泉岳寺間開通式

都心乗り入れ開通ポスター

都心乗り入れ開通ポスター

都市開発産業とパシフィック東京開業

1971年(昭和46年)1月、交通運輸関連事業、住宅関連事業、流通関連事業、レジャー関連事業の四本の事業を柱として都市開発産業をめざす「長期展望」を策定発表し、第4次総合経営5か年計画を実行に移した。

そのなかで、最も大きな新規事業は、品川地区の総合的な市街地再開発の要となるホテルパシフィック東京の建設であった。
同ホテルは、レジャー関連事業の中核としての役割を担って、1971年(昭和46年)7月27日、オープンした。

住宅関連事業では、富岡、港南地区の大規模な開発、分譲を推進してきた。
特に富岡地区での分譲地は1,500区画を超え、一大住宅地を形成していた。
そのために人口が急増し、幼稚園の必要性が高まってきた。
そこで、当社の計画や地元の要望にこたえて住宅地内に京急幼稚園を開園し、教育事業にも進出していった。

ホテルパシフィック東京

ホテルパシフィック東京

昭和44年頃 旧本社ビルとホテル建設予定地

昭和44年頃 旧本社ビルとホテル建設予定地

京急幼稚園の増設

京急幼稚園の増設

昭和46年 「川崎京急ボウル」オープン

昭和46年 「川崎京急ボウル」オープン

京急油壺マリンパークの開業

元来、三浦半島は自然の観光資源に恵まれ、また名所旧跡も多いが、戦時中は要塞地帯という特殊事情もあって、戦後にようやくその体制を整え始めたという状況であった。
しかし、三方を海に囲まれ、気象温暖という健康的な三浦半島は、レジャーを求める人々にとって格好の行楽地であることから、三浦半島開発計画の一環として油壺に水族館を建設。
1968年(昭和43年)4月に、魚の大回遊水槽や、魚の習性や間隔を利用してシーを行う実演水槽などの施設がある、「京急油壺マリンパーク」が開業した。

1981年(昭和56年)10月には、日本初の屋内第海洋劇場「ファンタジアム」をオープンし、多くのお客さまの人気を博している。

昭和42年 京急油壺マリンパーク建設に着手

昭和42年 京急油壺マリンパーク建設に着手

“魚の国”油壺マリンパーク誕生!(ポスター)

“魚の国”油壺マリンパーク誕生!(ポスター)

「京急油壺マリンパーク」オープン

「京急油壺マリンパーク」オープン

油壺マリンパークの水族館内

油壺マリンパークの水族館内

1966年(昭和41年)

1.1 特殊代用信号機を全線27踏切道(第1種乙踏切)で正式使用開始
第1種甲踏切4か所を自動化
3.23 浦賀駅に、日本初のプログラム式列車運行制御装置(PTC)設置使用開始
3.27 野比~津久井浜間開通
5.21 京浜川崎駅付近下り線高架工事竣工、使用開始(上り線は5月11日)
7.7 津久井浜~三浦海岸間開通・特急を終日10分間隔で運転開始
7.19 観音崎ビーチモテル(のち観音崎ビーチホテル)竣工
12.10 京浜川崎駅前付近で踏切道の除却工事と京浜川崎駅改良工事竣工
京浜川崎駅に新型連動装置新設
朝のラッシュ時に金沢文庫~品川間特急8両編成の運転開始
12.12 京急新橋地下駐車場(株)設立

1967年(昭和42年)

5.27 電車の戸開閉操作を運転士から車掌に切り替え
6.- 700形を新造(初の4扉車)
7.9 「京急川崎レジャーセンター」営業開始
11.19 生麦駅の改良工事竣工(初の橋上駅)
11.- 合成電車線使用開始(川崎大師~東門前間)

1968年(昭和43年)

1.29 武山球場竣工
4.1 ATS(自動列車停止装置)を品川~堀ノ内間で部分使用開始
4.27 「京急油壺マリンパーク」営業開始
6.1 運転司令所、電力司令所を新設
6.21 快速特急列車の運転開始
都心乗り入れ、品川~泉岳寺間開通
誘導式列車無線装置の使用開始(泉岳寺~京浜川崎間)
9.22 横須賀池田建売住宅の販売開始
10.1 「京急サニーマート」営業開始
京急三浦海岸グラウンド完成
10.27 横須賀池田分譲地の販売開始
12.21 大師電気鉄道「発祥之地」記念碑を川崎大師駅構内に建立

1969年(昭和44年)

6.25 運輸省指定区間(品川~堀ノ内間)のATS設置完了
6.30 「京急三浦ビーチセンター」営業開始
11.17 神武寺駅に第1種継電連動装置設置、これにより全線24か所の継電化完了
11.22 中川幸一が取締役社長に就任
12.9 本線と本線直通運転全区間のATS地上装置完成使用開始

1970年(昭和45年)

2.16 (株)ホテルパシフィック東京設立
4.6 京急幼稚園開園
11.12 空港線、大師線でATS地上装置の使用開始(全線、全列車で使用開始)
11.20 休止中の大師線、小島新田~塩浜間廃止
12.1 鈴ヶ森~平和島間の全線高架化線開通(上り線1月20日開通)

1971年(昭和46年)

1.24 休止中の空港線、羽田空港~穴守間廃止
2.15 京急レジャーサービス(株)(現京急サービス(株))設立
2.23 鶴見川新橋梁の上り線使用開始
4.- マルチプルタイタンパー導入
7.1 新造1000形と600形屋上に冷房装置取付け初の冷房車就役
7.27 「ホテルパシフィック東京」営業開始
10.1 平和島と京浜久里浜両駅に初の乗車券センター営業開始、駅業務のオンライン化始動
12.23 電車に盲導犬の乗車を認める

1972年(昭和47年)

3.31 六郷川新橋梁の切り替え完成、使用開始
4.1 京急新橋地下駐車場営業開始
5.26 大森電力司令所完成、変電所の集中制御開始
6.1 新橋地下街「しんちか」営業開始
7.1 金沢八景に「八景京急ボウル」オープン

1973年(昭和48年)

3.19 大森営業所で低床式バスの使用を開始
10.1 神奈川地区で盲導犬のバス乗車を認める
12.8 (株)平和嶋が長野県青木湖畔に「ホテルブルーレイク」オープン(2001年3月売却)
12.15 駅の集中放送装置全線完成、車掌によるワイヤレスマイク使用開始

1974年(昭和49年)

1.17 金沢文庫電車基地完成(収容能力272両)、車上進路設定装置使用開始
5.11 京急第2ビル完成
5.26 横浜駅相対式ホームを島式ホームに改良
7.11 (株)京急ツーリスト(現京急観光(株))設立
10.1 社員持株制度発足
12.2 朝のラッシュ時に金沢文庫~横浜間で私鉄初の特急12両編成運転開始

1975年(昭和50年)

4.26 三浦海岸~三崎口間開通
5.27 片桐典徳が取締役社長に就任
7.23 南総興業(株)(現(株)市原京急カントリークラブ)がグループ会社となる

1976年(昭和51年)

3.31 京急レストラン(株)がグループ会社となる
8.1 空港線車輌を大型化
10.15 北品川~青物横丁間の高架化工事完成。北馬場・南馬場を統合、新馬場駅開業

1977年(昭和52年)

11.1 大師線の車輌を大型化
12.13 京急緑地開発(株)設立

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