京急の歩み 統合期

戦時統合

1937年(昭和12年)7月7日、蘆溝橋で日中両軍が衝突し日中戦争が始まると、挙国一致体制はますます強化された。
翌年8月には、資本、経費の無駄を排除する目的で、「陸上交通事業調整法」が施行され、主務大臣に会社の合併勧告や実施を命令する権限が与えられたのである。

こうした社会的背景のもとに、京浜電気鉄道、湘南電気鉄道と湘南半島自動車の3社は、1941年(昭和16年)11月1日、自主的に合併し京浜電気鉄道を存続会社名とした。

合併はさらに続き、1942年(昭和17年)5月1日には、国策を先取りして京浜電気鉄道、東京横浜電鉄、小田急電鉄が合併して東京急行電鉄となり、2年後の5月には、京王電気軌道も合併した。

浜川・鈴ヶ森・総持寺駅休止のポスター

浜川・鈴ヶ森・総持寺駅休止のポスター

軍部の要請で着工したが、未完成で終戦を迎えた武山線(衣笠〜林間)の橋脚跡

軍部の要請で着工したが、未完成で終戦を迎えた武山線(衣笠〜林間)の橋脚跡

戦災

太平洋戦争へ突入すると、物資不足は一層深刻化し、自動車事業はガソリン車が消え、代わって木炭や薪などを使った代燃車の時代となる。

1945年(昭和20年)3月の東京大空襲を皮切りに、京浜地帯はたびたび米軍機の空襲を受け、会社も甚大な被害を受けた。

同年8月に敗戦で幕を閉じた太平洋戦争が残した傷痕はあまりにも大きかった。

戦災を受けた日ノ出町と横浜市内(伊勢佐木町方面)

戦災を受けた日ノ出町と横浜市内(伊勢佐木町方面)

分解釜に仮泊した被災者(大師線鈴木町駅付近)

分解釜に仮泊した被災者(大師線鈴木町駅付近)

混雑する戦後の品川駅前

混雑する戦後の品川駅前

1942年(昭和17年)

5.1 京浜電気鉄道(株)、東京横浜電鉄(株)、小田急電鉄(株)3社合併、社名を東京急行電鉄(株)とする(局制を敷き、品川・渋谷・新宿の3営業局を設置)
五島慶太が東京急行電鉄(株)の取締役社長に、品川営業局長に田中百畝が就任
公郷変電所新設使用開始
12.1 横須賀堀ノ内~久里浜(仮駅)間開通

1943年(昭和18年)

7.5 湘南自動車工業(株)設立
9.21 久里浜駅を約500m延長移設

1944年(昭和19年)

2.24 篠原三千郎が取締役社長に就任
5.31 東京急行電鉄(株)が京王電気軌道(株)を合併
6.1 川崎大師~産業道路間開通
10.1 産業道路~入江崎間開通

1945年(昭和20年)

1.7 入江崎~桜本間開通
3.12 平山孝が取締役社長に就任
8.20 小宮次郎が取締役社長に就任
12.6 大師線と川崎市電が桜本で接続

1946年(昭和21年)

3.1 小林中が取締役社長に就任
6.14 横浜~浦賀間で連合国軍専用車(白帯車)の運転開始

1947年(昭和22年)

6.25 東京都との協定により、乗合バスの都内相互乗入れ開始
11.28 (株)京急共栄会設立(2010年7月解散)
10.16 井田正一が取締役社長に就任

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