京急の歩み 創業期

関東に初めての電車 創業前・後

1899年(明治32年)1月21日、晴れ。
午前10時、1両の電車が満員の乗客を乗せて六郷橋から大師へ向けて走った。
それが私たちの歴史の始まりだった。

その日は川崎大師(平間寺)の縁日に当たり、参詣を兼ねて関東で初めて、日本で3番目という営業用電車が走るのを一目見ようと、多数の見物人が押し寄せた。
沿線の安全確保のために、川崎警察分署は数十人の巡査を派遣して、その整理に当たった。

資本金9万8000円、立川勇次郎を代表者とし、所有車両5両、営業路線は約2kmの単線、職員は事務部4人、運転部8人、機械部4人、路線部1人の計17人で開業したのが、現在の京浜急行電鉄の前身、大師電気鉄道であった。

開業後、名称を京浜電気鉄道と改め、京浜間全通という大きな目標に向かって歩み始めた。

六郷橋〜大師間の桜並木を行く電車

六郷橋〜大師間の桜並木を行く電車

六郷橋に並行して架けた木橋を行く電車

六郷橋に並行して架けた木橋を行く電車

自給自足による電力確保のため明治32年完成した川崎の火力発電所

自給自足による電力確保のため明治32年完成した川崎の火力発電所

京浜間連絡の実現

1903年(明治37年)5月、海岸~品川(八ツ山橋)間が開通し、1904年(明治38年)12月の川崎~神奈川間の開通によって京浜間の連絡が実現した。
これに先だちそれぞれの終点から市街地への直通を企図して既設線の軌間を1,372mmに変更した。

また、全通をひかえてボギー電車が就役した。
76人乗りの大型車体、高速走行に備えた大出力のモーター、空気ブレーキなどを装備した画期的な車両であった。

京浜電気鉄道の路線図

京浜電気鉄道の路線図

京浜間全通を伝える車内ポスター

京浜間全通を伝える車内ポスター

川崎車庫における1号形5号ボギー電車(原形)

川崎車庫における1号形5号ボギー電車(原形)

住宅地分譲

六郷川河畔に火力発電所を建設して、自給自足で電車を走らせていた京浜電気鉄道は、余剰電力の供給も行った。
この電力を頼りに川崎周辺には次第に工場が進出してくるようになり、京浜工業地帯の基礎が形づくられるようになっていった。

電灯電力供給事業をもとにして、沿線に移住する住民を獲得し、住民の電気鉄道利用促進をはかる目的で、生麦住宅地の造成・分譲を行った。
これは関東の私鉄では最初の住宅分譲であった。

さらに、工場誘致と住宅地造成を目的とした川崎運河の開削を行うなど、沿線開発事業にも拍車がかかった。
積極的な経営が功を奏し、しかも第1次世界大戦による好景気が続いたことから、業績も安定してきた。

大正3年に販売開始した初の分譲住宅地、生麦住宅地の区画図

大正3年に販売開始した初の分譲住宅地、生麦住宅地の区画図

川崎運河の完成。工場・住宅用地の販売開始

川崎運河の完成。工場・住宅用地の販売開始

高輪延長と品川開業

品川(八ツ山橋)終点は、国鉄との連絡上不便だったので、市電の線路を一部共用して路線を延長し、高輪ビルディングを建設して停留所とした。
このビルディングはターミナルビルの嚆矢ともいうべきもので、1階に売店、中2階と2階には20数軒の店舗を出店させた。

高輪停留所は、当初東京市中心への乗入れの一部と考えられていたが、高輪以北への延長は行われず、結局、1933年(昭和8年)高輪停留所を廃止して、国鉄品川駅乗入れを実現した。
品川駅乗入れと同時に軌間を再び1,435mmに変更した。

その後、東京市中心へは地下鉄による乗入れを計画し、東京地下鉄道と共同で京浜地下鉄道を設立したが、実現には至らなかった。

北品川駅の京浜31号車と東京市電

北品川駅の京浜31号車と東京市電

大正14年9月に駅ビルのはしりとして完成した高輪ビルディング

大正14年9月に駅ビルのはしりとして完成した高輪ビルディング

大正13年頃 高輪付近を走る東京市電(左)と55号車(右)

大正13年頃 高輪付近を走る東京市電(左)と55号車(右)

関東大震災で崩壊した穴守線海老取川橋梁

関東大震災で崩壊した穴守線海老取川橋梁

1898年(明治31年)

2.25 大師電気鉄道(株)創立
立川勇次郎が専務取締役(代表)に就任
本社を東京市京橋区南鍋町1丁目5番地に置く
7.25 第1回定時株主総会を開催

1899年(明治32年)

1.21 六郷橋~大師間(約2km)が開通(日本初の1,435mmの軌間を採用)
2.8 本社を川崎町久根崎19番地に移転
4.25 大師電気鉄道(株)を京浜電気鉄道(株)に変更
11.29 六郷橋~大師間で複線運転開始

1901年(明治34年)

2.1 品川延長線、六郷橋~大森停車場前間の営業開始
8.24 電灯電力供給事業開始

1902年(明治35年)

9.1 六郷橋~川崎停留所間が開通
10.17 『京浜電気鉄道沿革』を発行

1903年(明治36年)

12.5 岩田作兵衛が専務取締役(代表)に就任

1904年(明治37年)

5.8 品川(八ツ山)~八幡(大森海岸)間の開通により品川~川崎間全通、八幡~学校裏間の複線専用軌道開通
9.21 日本最初のボギー電車(76人乗りセミクロスシート型)10両を新造
10.23 雨宮敬次郎が専務取締役(代表)に就任
12.22 社長制を設け雨宮敬次郎が取締役社長に就任

1905年(明治38年)

12.24 川崎~神奈川間の開通により、品川~神奈川間全通

1906年(明治39年)

10.1 学校裏~梅屋敷間、雑色~川崎間の複線専用軌道開通(六郷川架橋を建設)

1907年(明治40年)

4.17 本社を川崎町堀之内831番地へ移転
10.24 栗生武右衛門が取締役社長に就任

1908年(明治41年)

12.- 京浜広告社と広告請負契約締結、鉄道広告営業開始

1909年(明治42年)

5.15 三浦泰輔が取締役社長に就任
10.1 横浜電気鉄道(のち横浜市電)と連絡運輸開始
10.16 横浜鉄道(現JR横浜線)との汽車電車連絡切符発売契約を締結

1910年(明治43年)

1.1 『京浜遊覧案内』を発行
7.15 仲木戸付近、横浜鉄道との立体交差化工事竣工
8.5 青木正太郎が取締役社長に就任

1911年(明治44年)

4.1 六郷川鉄橋開通
8.- 初の3扉車(90人乗り)25号形3両を新造

1912年(明治45年)

6.24 福利共済事業として「一心会」発足

1913年(大正2年)

7.1 大森変電所、鶴見変電所の運転開始

1914年(大正3年)

4.17 鶴見花月園開園
5.1 生麦住宅地の販売開始

1915年(大正4年)

10.12 手動式の閉そく信号機完成(2灯式)

1918年(大正7年)

6.28 安田善三郎が取締役社長に就任

1919年(大正8年)

10.4 創業20周年祝賀会を花月園で開催

1920年(大正9年)

10.1 線路上に特別高圧送電線架設
11.25 海岸電気軌道(株)設立

1921年(大正10年)

6.1 貨物運輸の営業開始
12.24 安田善五郎が取締役社長に就任

1922年(大正11年)

6.1 川崎運河の完成で、工場用地、住宅用地の販売開始

1923年(大正12年)

5.1 電灯・電力事業から撤退。群馬電力に売却。
9.1 関東大震災による全線の営業停止
9.11 震災による営業停止の一部運転再開
10.18 青木正太郎が取締役社長に再就任

1924年(大正13年)

3.29 市電が品川停留場へ乗り入れ運転開始

1925年(大正14年)

1.- 日本初の本格的半鋼製軽量ボギー車(旧51号形)20両の使用開始
3.11 品川鉄橋(八ツ山橋)~高輪間が開通し、路線が東京市内へ入る(高輪停留場開業)
12.27 湘南電気鉄道(株)設立、野村龍太郎が取締役会長(代表)に就任

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